保原町の つつこ引き

保原町、福島市の北東部に位置し、伊達郡の中心的な町で、果樹栽培やニットの生産が盛んな町です。
つつことは俵の事で、保原町のつつこには引き縄がついてなく、更にはそのつつこを上方部、下方部、中方部の三方向に引きあって勝負を争います。

 保原の里は古くから伊達の中央に開け、毎月五の日、十の日に市が立ち大変にぎわいを見せていました。この市の市場をを決める方法として毎年正月25日の市祭りに、上・中・下の町内若衆がつつこを引き合い勝った町内にその年の市を立てる習わしになって痛そうです。

 今から約270年前の享保の大飢饉では農民が持っていた種もみまでの食べ尽くしてしまうほどの飢饉があり、領民達は悲惨な日々に明け暮れていました。これをみた領主の松平出雲守道春公は領民の苦しみを憂い、神のお告げにより、種もみを分け与えたそうです。そして翌年は大豊作となったそうです。喜びに沸いた領民は神のご加護とこの領主の善政をたたえ、神前に初穂を供え豊作を祝いました。それ以来五穀豊穣を祈る厳島神社の神事としてつつこひきの祭りが行われるようになったそうです。

画像提供:保原町のホームページ

http://www.town.hobara.fukushima.jp/

資料提供:ダイワプランニング 

バンジー武彦 氏

 毎年3月第1日曜日に厳島神社で行われ、享保の大飢饉に苦しむ農民を救った、領主・松平出雲守道春公を称え、その年の豊作を占う祭りとして知られている。
 
つつこは、約800束のわらを使い祭礼前日に氏子たちが造りあげ、中には 2升のおこわを入れこれが引き合ううちに、"もち" に変わり、宮司の手によって参拝者に配られる。長さ3m,直径1.5m,重さ約800kで、このわらを持ち帰り神前に捧げると病人が絶え、農作物は豊作となり、養蚕は盛んになると言い伝えられています。
 寒風の中裸の男たちがつつこを引き合う勇壮な姿は、県の10大奇祭にも選ばれています。

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