信達平野と西根堰の開削

西根堰
福島と宮城の県境 阿武隈川の西側に広がる台地、ここに点在する33ヶ村を西根郷といった。この土地は肥えていたが水利が悪く稲作ができずに何百年もの間、麦や粟等しか作れなかった。古川善兵衛は奉行であった慶長年間にこの地に、堰の導水計画を立て実行した。元和4年12月 9ヶ月の工期ににより飯坂町から国見町徳江間に西根下堰が完成する。寛永2年3月にこれに続き飯阪から梁川町五十沢までの30Kmに及ぶ西根上堰が困難な工事の末に完成し、有史以来はじめてこの地に水田がひろがった。
 この堰の完成により西根郷には黄金色をした稲がたわわに実ることになったのである。
堰の開削工事には、土地の農民を賦役に駆り出さず、人夫を雇い給料をしはらいながら当時の費用にして57,000両を要した。現在でも西根堰は、農業用水、防火用水、工場用水など多目的に利用されている。


堰(せき) 水流をせき止めるために作った構築物のこと

 高畑天満宮と「うそかえ祭り」

高畑天満宮は、江戸時代、京都の北の天満宮から文道の守り神として勧請された。たくさんのおみくじが結びつけられていました。「御神牛」は天神様菅原道真公が「丑寅」の生まれにちなみ、自分の患っているところと、御神牛の同じところなでると、良くなるといわれ、特に頭をなでると知恵をを授かるといわれています。(なで丑)

うそ替え祭り

福岡県の太宰府天満宮などで行われる。参詣者が作り物の「うそ」を取り替える行事。参詣者がそれぞれ1年間神棚にまっつていた木製の「うそ」を持ち寄り「替えましょ、替えましょ」と声を掛けて互いに交換しあう。「うそ」は持ち帰って神棚にあげ火伏せとする。「うそかえ」は江戸時代後期に大坂や江戸に伝わり天満天神や亀戸天神や、その他各地の天満宮でおこなわれていた。現在は参詣者が「うそ」を買い求めるだけの行事になっているところが多い。

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