[福島祭り歳時記 作者のページ 私の本棚 このページは私個人の書評を書いたもので、宣伝ではありません。従って装丁及び価格等のデータは購入時のものであり、現在は異なることもあります]
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エッセイや対談でよく目にする著者阿川佐和子の初の小説。主人公みよちゃんが通う幼稚園にやってきたウメ子のお話。子供もの頃の澄んだ瞳で見つめた世界がそこにあります。幼稚園のころの楽しく興味深く何でも輝いていた頃の世界があります。子殿の頃、わくわくして聞いたおとぎ話のような世界が広がっています。大人も楽しめる童話の世界が繰り広げられています。著者の、よく動くクリクリとした目は今でも小女の時を写しているのでしょうか。(6/27)(ファンのページ)
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珠子とムショ帰りのお爺ちゃんの痛快無比のお話。「時をかける少女」や「セーラー服と機関銃」などの作品を彷彿とさせる物語です。主人公珠子は中学1年生、懲役13年の刑を終えて帰ってきた祖父は珠子の通う荒れた中学校のいじめグループをものの見事に解散させてしまうところから、お爺ちゃんの不思議な魅力に引きつけられて行きます。映画化が決まっていて主人公「珠代」役を公募しているそうです。かつての「原田知代」や「薬師丸ヒロ子」のような少女が演じる珠代を早く見てみたいと思います。(6/24) | |||||
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東京西麻布から六本木にかつての「霞町」はあった。伊能写真館の孫の「おれ」は進学校で有名な都立高校3年生。夜な夜な学生服をコンテンポラリースーツに着替え、細めのネクタイを締め、ポマードで固めたリーゼントに,軽免許で運転出来るホンダN360「エヌコロ」にのって集まってくる高校生たち。受験を控えた高校生たちは、受験勉強に追われながらも青春を謳歌する。短編集が一つ一つが霞町物語を構成する。主人公の家は伊能写真館は写真士「伊能無映」を代々名乗る明治からの写真館。婿取りの母に父。伊能写真館の当主の祖父と、辰巳芸者上がりの祖母。没落家族の孫娘や、検事の娘との恋やなどがまるで青春グラフティーのように、そして懐かしい1960年代の東京と若者のすがたが描かれます。主人公は「著者」浅田次郎の分身のようです。たばこ、酒、車、そしてSEX。青春の日々がスクリーンに映し出されるよな物語です。(6/23) | |||||
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著者は初代内閣安全保障室長で「危機管理」の第一人者です。危機管理という言葉は著者の造語だそうです。「東大安田講堂の籠城戦」や「連合赤軍浅間山荘事件」での現場指揮官をつとめたのは有名です。その著書「東大落城」は以前に紹介してあります。「浅間山荘事件」は役所浩二が主演で最近映画化されました。後藤田正晴は中曽根内閣の官房長官を務め、その間多くの国家的難関をものの見事に処理しきった政治家です。著者は内閣安全保障室長として後藤田長官に支えます。佐々家は織田信長に支えた「佐々成正」の末裔で武士道を今に伝えています。警視庁時代はいつ死をを迎えても恥ずかしくないようにと、警備にあたっては真新しい下着をつけてことに臨んだ、という武士(もののふ)です。著者の著述はどれもわかりやすく、そして興味深い内容のものがいっぱいで、読んでいてページがすすむのがはやい。(6/21) | |||||
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伝説の明治時代の伝説の掏摸(すり)の親分「仕立屋銀地」のソフトピカレスクです。先代親分の娘と一緒になったことで、うでのいい仕立て職人の富田銀三は、掏摸社会の中で着々とその地位を築いて行き、ついには先代の跡目を継ぐことになります。自らは一度も掏摸を行ったことはなく、江戸時代から続く警察と掏摸士の癒着は、すられた被害の品を警察の要請によって返す、その変わりに掏摸士の存在を多めにみると言う、現在では考えられない悪習慣がまかり通っていた時代の話です。小説なのでもう少しストーリーの展開があると面白と思います。(6/21) | |||||
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拒食症・過食症などの摂食障害、登校拒否、仕事中毒、ギャンブル依存症、。アルコール依存症、薬物依存症、SEX依存症等の現代病。これらのの人びとの多くが「共依存」と言う関係にあることがいわれます。母と娘、母と息子、夫婦、父と子、いわゆる家族関係が引き起こす1980年代以降急激に増えているこの病気は、病んでいる本人はもとより家族を苦痛の底に伴います。著者は精神科の医師で、家族関係が要因となり引き起こす現代の病理を優しく書き著しています。(6/18) | |||||
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吉良上野之介の側から見ると忠臣蔵は別の見方が出来ます。勅使饗応役であった浅野匠上はその潔癖性から、当然送られべきである礼を賄賂とらえて拒絶し、吉良に礼説を尽くさなかったことが、刃傷の一因となりました。更に匠上の短慮により傷つけられた上野之介はその後浪士の討ち入りにおびえながら、最後には浪士に本懐を遂げられ、さらに吉良家は断絶させられてしまいます。この間終始攻撃を加えたのが浅野側で、吉良側は防御に廻っただけ。その結果吉良家、上杉の家来たちが主のために一命も捧げた武士もやはり忠臣であった、と書いています。従来の浅野側=善、吉良=悪の図式を越えた書き方となっています。また下巻は討ち入りの様子が詳しく描かれ、特に浪士側の挑発と吉良側の防御、戦いの壮絶さ、凄惨さが、詳しく描かれています。忠臣蔵にまつわる沢山の人々の、息づかいがありありと描かれている「森村誠一版 忠臣蔵」。2000ページの大作。物語のストーリーは熟知していても、充分楽しめる作品でした。(6/13) | |||||
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推理作家森村誠一版「忠臣蔵」です。ご存じ「刃傷松の廊下」より、浅野大学のお取り立ての願いが却下され、吉良の目を欺くため京都島原の郭で、放蕩を続けて内蔵助は初めて同士に討ち入りの決意を語る京都丸山会議までが描かれています。推理作家らしく、新しい解釈や推理があちこちにちりばめられ、読み手を元禄の華やかな世界にいざないます。また「義」に生死を掛ける武士たちを描いていきます。武士道は主家に対して「忠」であることが求められます。だから廃絶された浅野家に忠たらんとするところに矛盾が生まれます。その矛盾を貫く処に死があり、武士道の行き着くところが死であることを語っています。また赤穂城開城の直前に卆本し、不忠者とされた家老「大野九郎兵衛」の本当の姿は、藩の債権を回収し討ち入りまでの資金調達役であったとか、内蔵助のあまりの放蕩は敵の目を眩ましだけでなく、堀部安兵衛の義父弥兵衛をして内蔵助を暗殺する計画をたてさせことなど、はじめての興味深い視点からストーリーが展開されていきます。(6/2) | ||||
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