[福島祭り歳時記 作者のページ 私の本棚 このページは私個人の読後感を書いたもので、けして宣伝ではありません。装丁及び価格等のデータは購入時のものであり、現在は異なることもあります]
|
|
|
昨年再結成されたフォーク・クルセダーズは加藤和彦・北山修にアルフィーの坂崎幸之助を加え、2枚のCDを作り、一度限りの「再結成記念解散音楽会」というコンサートを行い、新たなフォークルファンを作り出しました。そのフォークルに多くの詩を書いた松山猛。彼が訳した朝鮮のうた「イムジン河」。ザ・フォーク・クルセダースの「イムジン河」の発売禁止が、30数年ぶりに解除されたのは昨年のことでした。1枚のレコードがあるわけでもないのに人々の口から口へと歌い継がれてきた曲、南北朝鮮の分断に心痛める人たちの心の唄、そして戦争に反対する反戦歌、差別を許さない正義の唄と、いろいろなとらえられ方をする唄なのです。作詞家松山猛が住んでいた頃の京都のまちを在日朝鮮人たちと心の交流を通じてできたこの詩を歌ったフォークルの「イムジン河」は現代の日本を代表する唄の一つだと思います。 (1/29) | |||||
|
|
{番 外}映画「壬生義士伝」 1/18日から松竹系でロードショー。 吉村貫一朗:中井貴一/齋籐一:佐藤浩一 全編を通じ中井貴一の頼りなげな貫一朗と剣の達人としての貫一朗が良く描かれていました。齋籐一役の佐藤浩一の演技も光っていました。大野千明と嘉一郎の別れの場面では館内のあちこちからすすり上げるような泣き声が聞こえて来ます。原作に忠実に作ってありましたが、大野次郎衛門が討ち死にするとか、齋籐一の女が自害するのが原作ではいつ死なのに対して、手首を切るなど若干の違いのほかは忠実な映画化でした。(1/19日鑑賞) |
壬生義士伝は吉村貫一朗と妻しづ、嫡男嘉一郎、長女みつ、そして次男の家族の愛の物語でした。戊辰戦争を通じてそれぞれに生きた家族と、貫一朗と親友大野次郎衛門との真の友情、それぞれの嫡男嘉一郎と千秋の信頼と友情、千秋と妻みつとの深い愛情を、新撰組と戊辰戦争と言う時代を背景に描いたラブストりーなのです。ですから100万部を超す大ベストセラーとして愛読されるのでしょう。もう一つのテーマ侍の「義」は主君に尽くすのもでなく、領民へ、そして妻子へ尽くすのが本来の義であるとしています。時代の中に取り残された侍こそ本当の武士であった貫一朗への強烈なラブコールのものがたりでした。(1/21) | |||||
|
文庫化・映画化を祝して再読。南部藩脱藩の新撰組隊士吉村貫一郎は組一番の剣の使い手。鳥羽伏見の戦いで傷つき大阪の南部藩屋敷に逃れる。そこにはかつての上司南部藩組頭大野次郎兵衛がおり、脱藩をとがめて切腹する代に言い渡される。貫一朗の回想と、後年貫一朗について調べる新聞記者の問いに答える人の話と言うかたちで物語はすすみます。(1/18) | |||||
|
新政府に出仕できなかった武士は明治になり失職する。録をはずれ、売り喰いをするもの、郷里にもどり帰農するもの、早々と武士を捨て町人となるもの、など悲喜こもごも。明治になり武士の論理は全く逆転してしまい、右往左往する様子を、短編5編で描かれている。特に「西を向く侍」と「五郎治殿御始末」が秀逸か。時代小説「壬生義士伝」と相通ずる「義」の世界に入り込めます。(1/13) | |||||
|
中南米の大使館の地下室で毎夜繰り広げられる秘密の「カジノ」に通う週刊誌記者は、バカラに未決済の取材費までつぎ込むこととなる。そこでカジノを公営化しようと意図する言論人の存在にであう。かつて日本船舶振興会が競艇を公営化して、そのギャンブルの上がりで政界に力を誇示したように、カジノを公営化することにより隠然たる力を築こうとする男の野望の端緒をつかんだ記者は、週刊誌に記事を展開する。公営ギャンブルや自己破産についての詳しい内容など、非常に興味深い内容のフィクションでした。(1/8) | |||||
|
豊臣家を救うおうとする二郎三郎に戦を仕掛けてくる秀忠と側近柳生。大阪夏の陣、冬の陣を経て秀頼と淀君はうたれるが、城中探しても遺骸は見つけられない。秀忠は遺骸のない秀頼と淀君の見えない影に追われ、残酷な豊臣の残党狩りをおこなう。そしてついに二郎三郎に刺客をおくることとなる。松平家に預けられた子供の頃の家康、関ヶ原の戦いで死んだ家康、関ヶ原以降征夷大将軍となった家康、実は3人はそれぞれ別人であったとする、「影武者徳川家康」1500ページに及ぶ大長編の下巻。読了に1カ月近く要した実に読み応えのある長編でした。(1/1) | |||||
|