[福島祭り歳時記 作者のページ 私の本棚 このページは私個人の読後感を書いたもので、けして宣伝ではありません。装丁及び価格等のデータは購入時のものであり、現在は異なることもあります]
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現役の外科医である著者は外科医を「鬼手仏心」という。経験を積んで、失敗を重ね、ミスを犯しながら外科医は成長し,そして鬼手仏心をつかむのは一握りの医師でしかない。外科の手術や診察などを通じ、医師と患者の心のつながり、そして医学と言う崇高な学問と治療と言う生身の人間と向かい合うすがたを、専門的にもわかりやすくあらわされたエッセイ集です。(2/22) | |||||
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福島県の中央にある猪苗代湖は全国4番目の広さをもちかつては、会津若松を経て日本海側に流れるのみであった。明治初期この水を郡山側に堰を築き安積平野の開墾に用いるため安積疎水の工事が3年をかけて行われた。同時にこの工事は国の直轄事業として行われ、明治維新によって職を失った士族へ職と土地を与えると言う施策でもあった。建築にはオランダ人技師「ファン・ドールン」の指揮の元3年の工期で完成する。本は疎水の完成までを資料を含め詳しく著している。現在猪苗代湖の十六橋にある疎水の恩人「ファン・ドールン像」を戦前金属供出令の難から身を挺して守ったという故渡辺信任(のぶとう)氏の話も著されています。(渡辺信任氏の子息に私の叔母が嫁いでいて、昔から氏の業績とファン・ドールンの「足のない銅像」の話を聞いていました。(2/20) | |||||
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ほとんど見ることのない裁判官の実像を数々の事件を背景に取材を通じて明らかにしていく。判決と言う正義を如何に表現するか苦悩を重ねる裁判官の姿が現されています。刑事裁判・民事裁判を担当する裁判官や、最高裁判事のすがたを、我々の前に著してくれる興味深い一冊でした。(2/18) | |||||
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幕末フランスで行われた万博に徳川慶喜の名代として遙か海路を経てパリにおもむいた慶喜の弟明慶に随行し、西洋医学を学んだ医師高村は貧民救済病院「髪の館」を見て強い栄虚位を受ける。徳川幕府は王政復古、廃藩置県、戊辰戦争を経て明治維新へと時代の激動にもまれながら変遷し、帰国した高村は函館戦争で榎本武揚率いる軍の医師として戦場で傷ついた両軍の兵士の治療をおこなう。その後(2/15) | |||||
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大人のADHDの研究では第1人者の福島医大の岡野先生は息子の副主治医です。多動性障害の一種アスペルガー障害のニキ・リンコさんとの対談を通して病気について話されています。かなり専門的な話しも多く、正直あまり理解できないところも多かったのですが、先生の顔を思い浮かべながら読み通しました。先生今後もよろしくお願いします。(2/12) | |||||
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大病院の院長の孫の17才の少女が誘拐され、家族に要求が送られる。要求は、病院に入院している財界人の「命」だ。前代未聞の要求に家族も、警察も要求を受け入れる。時をおかず19才の大学生が誘拐され、身代金は7000万円。しかし現金ではなく株券を要求してくる。2つのの誘拐は意外なところで接点をもつ。(2/3) | |||||
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