西根神社と「どんと祭」

西根神社

信達総鎮守(「しんたつ」とは現在の福島市の東北部の信夫郡・伊達郡を総称した呼び名)西根神社御祭紳は、古川善兵衛重吉命(ふるかわぜんべいしげよしのみこと)と佐藤新右衛門家忠命(さとうしんうえもんいえただのみこと)で、二人が「信達平野の開拓の祖」とも言われ、西根堰の開削にあたったことから、明治初期に神社を建て二人をお祀りすることとなったそうである。

どんと祭(さい)とどんど焼き

小正月の火祭りの行事。正月飾り等を燃やすもので1月14日15日の行事とするところが多い。北海道や東北地方北部を除いて全国的に行われており、ドンドヤキ、ドンド、ドウド等の名称でよばれ西日本にはサギッチョという名称も見られる。

団子刺し

小正月の縁起物 「だんごさし」 木の枝に団子や飾り物を刺して神棚に飾ります。福島稲荷神社ではどんど焼きと一緒に「だんご市」のみせが出ます。これも小正月の行事の一つです。

 御祭神となった「古川善兵衛」と「佐藤新右衛門」

古川善兵衛重吉 天正4年(1576)〜寛永14年(1637) は信濃国の生まれで、慶長3年上杉氏の会津藩移封に従い、信夫、伊達の郡代を命じられ、その後寛永元年に信夫、伊達奉行兼代官になった。

西根堰をはじめ、水利に乏しい地に用水路を開き、阿武隈川の舟運を奨励したり、岡部村の堤防を築いたりした。また3女を嫁がせ福島市の康善寺を建立したり黒岩虚空蔵堂等の寺院を建立した。西根堰の開削には私財ををなげうってあたったが、その資力にも限度があり、上杉藩の軍用米を一時流用して工事費に充てた。このことが後に藩主に知られる処となり、米沢街道李平(すももだいら)の陣にておいて馬上で割腹して果てたと伝えられる。

古川善兵衛重吉命

佐藤新右衛門家忠 天正元年(1573)〜寛永14年(1637) は伊達 桑折町に生まれる。慶長年間上杉景勝に仕え、伊達西根郷40ヶ村を支配する。武将としても勇名をはせ、古川善兵衛と共に西根上堰を開削した。後に病没したと伝えられる。

佐藤新右衛門命

戻る

次へ