2002/8/22 up
明治の戊辰戦争の頃の旧跡をしらべてみました。福島は「板倉氏三万石」の城下町。現在の福島県庁の付近に平城の「大佛城(おさらぎじょう)」がありました。奥羽列藩同盟の一員として薩長軍と対峙しました。長州藩参謀「世良修三」は北町にあった金澤屋に投宿中、仙台藩士等に捕らわれ、舟場町「長楽寺」前の阿武隈川原付近で惨殺されます。後年福島稲荷神社の一角に「長藩世良修三霊神」と書かれた碑がたてられ、お祀りされています。 |
@-1 福島稲荷神社(宮町) | @-2 その北東のかどに | |
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@-3 「世良修三」の碑があります | A-1 北町の各自軒(紅葉館)のあと | |
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A-2 今は駐車場です。紅葉館は現在福島市郊外の民家園に移築されています。 | A-3「各自軒」(旅籠)の子孫の方が話を教えてくれました。 | |
B「金澤屋」と「助床(私の祖先)」のあったあたり(福島日産自動車販売と国道4号線北町バイパス)地図は別ページにあります。 | C「浅草屋」のあった所(明治病院) |