萬年山長楽寺は曹洞宗の名刹です。板倉藩時代は大仏城の郭内の東端に位置していました。板倉氏以前の大名堀田氏時代の家老本庄繁長の墓所があるほか、山門の直ぐ脇には侠客「浅草屋宇一郎」とその妻の墓所、カラス天狗組の碑、明治の社会福祉事業の先覚者「卯生岩子」の像などがあります。

 戊辰戦争当時薩長軍の奥羽鎮撫士(武力を持って制定するのではなく言論を用いて制定しようとすること)等の軍事局が置かれたり、また奥羽列藩同盟の白河の攻防戦の時にも軍事局がおかれたりしました。また明治14年の福島町でおきた甚兵衛火事之際、焼けた裁判所の代わりに一時臨時の裁判所が置かれたこともあります。庫裡の脇の入口には菊(日本の紋章)と桐(裁判所の紋章)が彫られた敷居があります。客殿には浅草屋宇一郎の肖像画もあります。

戊辰戦争の頃がしのばれる 福島の旧跡 A
D-1長楽寺 山門 (福島市舟場町) D-2 長楽寺 本堂 ここに西軍の軍事局が置かれた

D-3「浅草屋宇一郎」のお墓 D-4 浅草屋宇一郎

E 奥羽鎮撫士 総督九条道孝と
  副総督 沢為量(さわ ためかず)
F「長州藩士 世良修三」

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